1. 仏教

「諦める」の本当の意味|意外とみんな知らない真理

諦めるとは

何かを頑張ってやっていて、途中で苦しくなって止めようかと思う時なんかに、

「諦めるな!」

というように叱咤激励の際に使う言葉ですが、

本来「諦め」とは負の言葉ではなく、むしろその逆です。


仏教では、修行を進めるときに決して「諦めるな」、という言い方はしません。

努力する、ということも言いません。

精進しなさい、と言います。

みんなで励まし合うときは、「諦める」とか「努力」とかではなく、「精進」という意気です。


仏教の修行は戒律も多く本当に厳しいので、途中でやめたくなる人も断念する人もいるでしょう。

それでも真理を得るために厳しい修行を長く続けるには、努力や根性ではなく、ひたすら精進です。

ギブアップとしての「諦め」という概念はありません。

物事をあきらかに見て状況を判断すること

日本では、諦めるという言葉は、物事を志なかばで中断したりやめてしまったりするときに使い、とてもネガティブなイメージがありますが、

仏教ではその逆で「諦(たい)」とはこの世の「真理」を現していて、むしろ世界や宇宙を顕すとても素晴らしい意味なのです。

つまり諦めるとは、あきらかにこの世の真理を見つめること、

素晴らしい状態のことを意味します。


諦めるとはむしろ、現状あがいて苦しんでいる状態をストップさせるための真理の言葉です。

つまり、今の悪い状態を冷静に見つめ、あきらかに真理を見つめれば正しい答えが出て来ます。

訳も分からず頑張っていたって、根本的なことが分かっていなければその状態は物事に逆らって足掻いているだけで、それは努力ではなく単なる苦しみです。

そういう時に

「あきらめろ(あきらかにしろ)」

という言い方ができます。

諦めるな、と言うと、

逆に煩悩の世界に逆戻りしてしまうので、真理を見ることが出来ず、さらに足掻いて苦しむ状態が維持されてしまいそうですね。

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