苦しみはどこから来るのか?
仏教「十二縁起」の教え
私たち人間は全ての人が無知(この世の真実が分かっていないということ)であるので、
真実が分かっていないから、人生が迷いの連続になってしまうということであります。
たとえば、交通ルールが分からない状態で道を歩くと車にぶつかって痛い思いをしますね。
もし、信号というものが分かっていれば、車にぶつかることはなかったし、無駄な痛みを受けることもなかったのです。
これが無知であるがゆえの苦しみであり、人生に於いて言えば、この世のルール(真実)が分からないから、トラブルにまきこまれて痛みを受けてしまい、ルールが分からないゆえに「なぜ痛いのか」の原因すら分からない。

車にぶつかったから痛いんだ、という原因さえ分かれば次から気を付けようとするので、今後の痛みにはつながらないし同じ痛みは回避できます。
しかし、人生のルールは誰もが知らないので、その痛みがどこから来て、どうして苦しいのか、分からないし教えてくれる機会もありません。
何度も何度も車にぶつかって痛い思いをし、それでも交通ルールや車の脅威を教えてくれる人がいないせいで繰り返し苦しみます。
この無知なる状態を克服するために、聖書やお経というものが何千年も人々によって伝えられてきているわけです。

キリスト教や他の宗教は、その真実がブレないように聖書というものがありますね。
宗教信者たちは迷わないように、苦しまないように、真実の聖書をベースに生きています。
聖書を頼りとすれば、真理を知った上で生きることができるので日々迷うことなく安心して暮らせるのです。
人は毎日を生きる際に、
真実が分からないから経験値や記憶の断片を頼りに生きていますが、
しかしそれは真実を見れて生きられていることではないので、間違った判断で生きているというとになります。
間違った判断だから物事がスムーズに運ばないわけで、だからそこにジレンマや苛立ち、憎しみが生じて争いとなり、結局自らが苦しみを受けることとなります。







